2015/12/29

新年の礼拝案内

■1月1日(金)朝11時 新年礼拝・主の命名日
■1月3日(日)朝10時半 顕現主日

新しい年を、神さまの祝福のもとに歩み始めましょう。どなたも、お越しください。

2015/12/18

白羊保育園のクリスマス

お父さん、お母さんも、今日は、子どもの園のクリスマスだから、会社休んで、見に来ています。一家総出という家だってあるはず。クリスマスは、神様のことばを身近に、耳にする時です。

2015/12/15

白羊保育園の年長さんの教会訪問

クリスマスを前にして、教会を訪ねてくださいました。礼拝堂の椅子に座り、みんなで、クリスマスの歌を歌い、お祈りをしました。イエスさまの誕生のお話しを聞きました。皆さん、良いクリスマスをむかえてくださいね。

2015/12/14

教会の掲示•墨書きに変化

説教題の墨書きを見て通る人が多くなったと思いませんか? 
奉仕者が、字を自由にのびのびと書いてくださっているからです。ほんとに、これを見て通る人が多くなりました。

2015/12/12

熊本大学合唱団が、教会でコンサート、

12月12日(土)午後2時から、熊大合唱団のコンサートが行われました。クリスマスの歌も取り込んで、さしずめ、クリスマスコンサートといった感じでした。

2015/12/10

教会の外階段にルター500のバナー

宗教改革は、社会科世界史の時間に、習ったのみ、ルターの顔もその時見たのみ、ということを、もう一度思い出していただくために、バナー(旗)が、掲げられました。

2015/12/05

ハナ先生のイングリッシュクラス 英語で話そう!


〝ハナ先生のイングリッシュクラス〟

日時:原則第1・第3土曜日 午後4~5時 
 
参加費:一回献金として700円  

どなたでも、参加していただけます。

2015/11/28

クリスマスのしるし


クリスマスのしるし

日本福音ルーテル熊本教会

牧師 杉本洋一
 

 

「「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(ルカによる福音書 21112節)

 

フランスではテロが起き、大勢の方が犠牲となりました。音楽を楽しんでいる時に、家族や友達、恋人と楽しく食事や語らいをしている時に、銃が乱射されたのです。そして、身をかがめた人は助かり、状況をつかめずに、ただ立ちすくんだ人は、その銃にうたれたのです。その悲惨さに、言葉を失います。

もうすぐクリスマスがやってきますが、ジングルベルのBGMが流れるスーパーで安心して買い物をすることができる状況が、なんと悲惨さとは対極にある状況でしょうか。同様に、同じ地球の中で、争いによって故郷を失い、家をなくし、布団も食べるパンを持たずに、愛する子どもや家族を失い、苦しみの生活を余儀なくされる人々がいるのは大きな不幸であり、矛盾であり、現実です。

この事実に、人間とは、なんと小さな存在であり、持てる力は小さく、争いには無力です。しかし、神は苦しむ者をただ眺めるだけではなく、一緒に生きて、励ましと希望と喜びを与えてくださる方です。

「神はわたしたちと共にいる」姿をもって、わたしたちに愛と励ましと希望を与えてくださる。それがイエス・キリストの誕生の姿です。身重になっている母マリアに同情しない宿屋の主人は、マリアを部屋に受け入れず、家畜小屋に追いやりました。貧しいマリアとヨセフが生まれたばかりの赤ちゃんイエスに着せたものは、ボロボロの布、おしめにする布です。そして不衛生な飼い葉桶の中に寝かせます。神であるイエスは、蔑まれ、同情されない、貧しい者として生まれ、育ちます。しかし、その姿と幼子の笑顔は、蔑まれて、貧しい中で生きる羊飼いたちにとっては、神が自分たちと共にいてくださることを知り、喜びとなったのではないでしょうか。

 「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

乳飲み子は小さな存在です。しかし、この赤子が、平和のために生きられた方なのです

十字架につけられたこの方こそ救い主・メシアとなったのです。「愛すること」を、身を持って示した方がお生まれになるのです。

2015/11/27

クリスマス礼拝のご案内

クリスマスには、ぜひ教会へお越しください。
心よりお待ちしています。

2015/11/13

当面の予定について

教会の当面の主な予定についてお知らせいたします。


1115日(日)
1122日(日)
子ども祝福式
加藤麻衣子さんオルガンコンサート
1129日(日)
勝部牧師説教、ユーゲント讃美
126()
前田牧師説教、聖餐式
 〃  〃
映画会予定「34丁目の奇跡」
1220()
クリスマス祝会(持寄愛餐会)
1224()
クリスマスイブ礼拝夜7
1225()
クリスマス聖餐礼拝10
1227()
もちつき
11()
新年礼拝

どの行事にもどなたでもお越しいただけます。
是非クリスマスには教会へ。

 

2015/11/04

11月3日は、玉名幼稚園のバザー。

熊本教会牧師は、玉名教会の責任を担っています。 玉名幼稚園のバザーには、(玉名)教会からも、出店しました。なんと、ラーメンです。玉名ラーメンは有名で、いつも町の中では、どのお店も行列ができています。この幼稚園でも、バザーでは行列ができました。さすがです。

玉名カトリック教会からは、ロペス神父も、教会の方を連れてお連れくださいました。
カトリックも、ルーテルも、近くて、親しい関係です。


2015/11/02

全聖徒主日 墓前礼拝 実施

11月1日は、全聖徒主日でした。この日の聖書の言葉は、あの「山上の説教」。イエスさまが、弟子たちを連れて、山に登り、語られた説教です。「幸いなるかな、心の貧しい者」です。この日に読まれたという山上の説教の言葉は、「悲しみ・貧しさ・迫害・」どのような状況にある者でも、幸いであるという主の宣言の言葉を耳にしました。
死んだ者も、この世にある者も、主の言葉によって、支えられ、行かされるのです。それがたとえ死んでいるものであってもです。
楽しいことばかりではない、いやむしろ、苦労・悲しみを背負いながら生きる私たちの人生です。
主の慰めの言葉は、単なる励ましではなく、支えであり、導きとなるのです。

午後からは、立田の熊本聖徒廟において、墓前礼拝の時を持ちました。 なお、墓地は、10月24日草取りとペンキ塗りがおこないました。



2015/10/31

教会学校では、ハロウィン❗️


子どもたちが集まり、ハロウィン!
牧師館にも、お菓子をもらいにきましたよ。みんなで作ったカレーをいただいて。シャロームで、お別れでした。
今度は、クリスマスが楽しみです。

2015/10/27

10月18日熊本地区歓迎会 フィンランドの夕べ

マルッティ・ポウッカ牧師ご夫妻、ビルピ・ソベリ牧師の三人が、熊本地区を訪れ、教会施設をお訪ねくださいました。これは、その日曜日の夕べ「フィンランドの夕べ」の地区歓迎会の後の記念写真です。
無事、3人の宣教師の先生は、27日(火)朝に、成田から、フィンランドに帰国されました。



2015/10/24

10月25日 宗教改革主日に寄せて


神さまの大きな愛を知った人

日本福音ルーテル熊本教会

牧師 杉本洋一

「人が義とされるのは行いによってではない」(ローマ書3:28

 

あなたは、神さまを、どのような神さまとして描いておられるでしょうか。どのように神さまのことをイメージしているでしょうか。例えば、お父さんとしての神さまとお母さんとしての神さまは、捉え方が異なるでしょう。父権性が強いなら、男性的なイメージの「力」や「威厳」が表に出るでしょう。母なる神なら、「やさしさ」や「抱いてまもる」ことの印象が色濃く出るかもしれません。

さて、私たちのルーテル教会は、マルチン・ルターの流れを引き継ぐ教会です。このルターは、父・ハンスの強い願いのもとに、幼少の頃からラテン語を学び、寮に入らされ、算術、論理学などの学びをたくさんしました。エルフルト大学に法律の勉強のために、入学をしました。親は、官吏とか宰相にならせたいとの願いがあったからです。大学の休暇による帰省を終え、学校に戻る途中の道で、落雷に遭遇します。稲妻によって恐怖の体験をし、思わず、その時に口から出た言葉は、「修道士になります」というものでした。稲妻の体験も、想像してみただけでも恐ろしいものです。「修道士になる」というのも、深層心理からすれば、心の底にあったものが、恐ろしさの体験から、表に出て来たのでしょう。法律を用いた社会に接する職業より、目に見えない神さまと接する仕事の選択を思わず表明したのです。

厳しい日課に基づく彼の修道生活が始まり、聖書を読み、祈りや黙想の時を持ちました。しかし、あの時の、「修道士になります」との表明した時に感じていた神さまと、修道生活を送って、もっと深く、身近に感ずる神さまは、相変わらず厳しい方であり、裁きを感ずる神さまでした。決して愛の方とは程遠く、「ぬくもり」も「あたたかさも」感ずることなく、依然として、深い神さまの愛を知ることはありませんでした。修道生活をすればするほど、神さまは愛の方ではなく、厳しく、裁きの神でした。

修道生活というと人から見れば聖なる立派な生活でしょう。しかし、その「行い」によって、人は、清く聖なるものとされるのでないことを感ずるのです。そればかりか、修道生活において見えてくるのは、清さを勝ち取ろうとする自分の欲や醜さが頭をもたげ、ますます、神さまから離れていく自分を見つけるのでした。

結局、ルターは、それは自分で勝ち取ろうとしているものであり、「人が義(神さまの前に正しい)とされるのは、(律法の)行いによるのではない」(3:28)と気づくのです。しかし、それは、前からずっと聖書に書かれていたことだったのです。「行う」ことによってではなくて、「イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義」(3:22)が私たちに示されているのであり、「神の恵みにより無償で義とされる」(3:24)と確認したのです。神さまの大きな愛を知ったルターは、変わったのです。

2015/10/15

10月18日の福音書 マルコ10:17-31

17イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」18イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。19『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」20すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。21イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」22その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
23イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」24弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。25金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」26弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。27イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」28ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。29イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、30今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。31しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」

2015/10/14

10月12日 教区女性会修養会が行われました。

 ジェンダーの視点から聖書を読む
 テーマ「土のかたまり」 講師:北村恵子さん(NCC女性会委員長 矯風会/性・人権部門員 )がお話しくださいました。
その時の様子です。礼拝は礼拝堂にて。 修養会は、集会室にて行われました。


2015/10/09

11月22日(日) オルガンコンサートのお知らせ

オルガンコンサートのお知らせ
11月22日(日)午後1時より、加藤麻衣子さんにオルガンコンサートを行います。
どうぞ、いらしてください。 入場料:1000円(学生500円) プレイガイドでもお求めになることができます。

2015/10/07

10月18日(日) フィンランド宣教師ポウッカ牧師、パイビイ夫人、ビルピ・ソベリ牧師の訪問

日曜礼拝 10:30- マルッティ・ポウッカ先生
            パイビィ・ポウッカ夫人
            ビルピ・ソベリ先生
国際礼拝  18:00-

どなたもお越しください。

夜7時より、地区歓迎会です。(参加費500円)  

2015/07/29

聖霊降臨後第十主日(平和主日)

日曜日 朝10時半から礼拝です。

マルコ6:1-6

 イエスはそこを去って、郷里に行かれたが、弟子たちも従って行った。 そして、安息日になったので、会堂で教えはじめられた。それを聞いた多くの人々は、驚いて言った、「この人は、これらのことをどこで習ってきたのか。また、この人の授かった知恵はどうだろう。このような力あるわざがその手で行われているのは、どうしてか。この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」。こうして彼らはイエスにつまずいた。イエスは言われた、「預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない」。そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった。そして、彼らの不信仰を驚き怪しまれた。それからイエスは、附近の村々を巡りあるいて教えられた。

2015/07/24

夏の休会のお知らせ。 日曜礼拝へのお誘い。


  聖研・夕礼拝・英語礼拝/夏の休会のお知らせ 

 水曜聖研   722日~826日 

    土曜日礼拝  81日~829日 

    英語礼拝・バイブルクラス  8230

日曜日礼拝は、朝10時半から行います。

聖霊降臨後第九主日 マルコ福音書5:21-

会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。
 大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。

 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。

2015/07/16

7月19日 聖霊降臨後第八主日

マルコ4:35 さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう。」と言われた。

4:36 そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。

4:37 すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。

4:38 ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」

4:39 イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。

4:40 イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」

4:41 彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」

2015/05/18

フルートチャリティコンサートのお知らせ 6月12日(金)夕7時(開場6:30)


612日に、水道町の熊本ルーテル教会にて、コンサートを催します。
このコンサートを通して、世界の中で寒さや飢えの中できょう生きるも小さな命へ手を差し伸べることを祈りながら、世界こども救援支援についての呼びかけます。

チケット1000円。すべて、世界子ども支援のためにささげます。
チケットご希望の方は、096(352)1772 熊本教会へ。

2015/05/14

聖霊降臨日礼拝のお知らせ 5月24日

 524日は聖霊降臨日(ペンテコステ)です。
 主を見失った弟子たちに、聖霊が下ることによって、力づけられ、神さまのことを証しするために出かけて行った出来事を心に留めます。 この日、聖餐式を行います。

2015/04/18

4月19日 復活後第二主日

ヨハネによる福音書21:1-14

1その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。2シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。3シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。4既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。5イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。6イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。7イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。8ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。9さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。10イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。11シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。12イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。13イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。14イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。

2015/04/01

聖木曜日礼拝、聖金曜日礼拝、イースター礼拝のお知らせ


今週、受難週の 聖木曜日、聖金曜日礼拝のお知らせ。

42日 聖木曜日(洗足日) 礼拝 朝10

43日 聖金曜日(七言礼拝) 礼拝 朝10

   この礼拝に、皆さんをお招きいたします。どうぞ、お越しください。


 復活日(イースター)のお知らせ

   ■45日 復活日 1030分 聖餐式、永眠者を憶えて、 祝会(一品持ち寄り)

      〃   墓前礼拝(立田) 230分 

2015/03/24

3月29日 枝の主日


マルコ11:1-11

1一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、2言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。3もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」4二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。5すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。6二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。7二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。8多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。9そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、/祝福があるように。10我らの父ダビデの来るべき国に、/祝福があるように。いと高きところにホサナ。」11こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。

2015/03/19

3月22日 福音書


ヨハネ12:36b-50

36光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」36イエスはこれらのことを話してから、立ち去って彼らから身を隠された。37このように多くのしるしを彼らの目の前で行われたが、彼らはイエスを信じなかった。38預言者イザヤの言葉が実現するためであった。彼はこう言っている。「主よ、だれがわたしたちの知らせを信じましたか。主の御腕は、だれに示されましたか。」39彼らが信じることができなかった理由を、イザヤはまた次のように言っている。40「神は彼らの目を見えなくし、/その心をかたくなにされた。こうして、彼らは目で見ることなく、/心で悟らず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。」41イザヤは、イエスの栄光を見たので、このように言い、イエスについて語ったのである。42とはいえ、議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった。43彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである。44イエスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。45わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。46わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。47わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。48わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。49なぜなら、わたしは自分勝手に語ったのではなく、わたしをお遣わしになった父が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったからである。50父の命令は永遠の命であることを、わたしは知っている。だから、わたしが語ることは、父がわたしに命じられたままに語っているのである。」

2015/03/14

3月15日のみ言葉

ヨハネ3:13-21

天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」

2015/02/08

2月15日 変容主日

マルコ福音書9:2~9 

六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、 服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。 エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」 ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。 すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」 弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。 一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。

2015/01/21

1月18日の礼拝 福音書

 マルコによる福音書 1章14-20節
 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」と言われた。
 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。 二人はすぐに網を捨てて従った。 また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、 すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に船に残して、イエスの後について行った。

2015/01/09

1月11日の礼拝 福音書

 マルコによる福音書 1章9-11節
 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。 水の中から上がるとすぐ、天が裂けて ”霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。 すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適うもの」と言う声が、天から聞こえた。

2015/01/05

1月4日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 2章1-12節
 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
 『ユダの地、ベツレヘムよ、
 お前はユダの指導者たちの中で
 決していちばん小さいものではない。
 お前から指導者が現れ、
 わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
  そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」といってベツレヘムへ送り出した。 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。