2020/05/14

家庭礼拝のために。5月17日のために。


517 復活後第六主日礼拝  ※教団讃美歌を用います。

 

教会の前に、この式次第・説教を封筒に入れて、通りゆく方に持って行ってもらおうと置いておきました。429日の週3部、53日の週7部、510日の週9部、と持って行ってくださる方がおられました。少しでも、神さまからの慰めと平安が与えられたらと思います。季節はもう、初夏を感じるころです。沖縄では梅雨に入ったと聞きます。等しくめぐみの中で生かされていることを思います。17日からの週も神さまのみ恵みに生かされて、お過ごしくださいますように。   杉本洋一

 

熊本・玉名教会/家庭で、個人で、礼拝を守るための式次第

 

黙祷(しばらく心を落ち着けて静かな時を持ちましょう)

 

讃美歌(声を出して歌うのが望ましい)教団298(やすかれ、わがこころよ)

 

主日の祈り(読むという形で、主日の祈りに代えます。)

永遠に生きておられる全能の神さま。あなたは天と地のすべてを一つに結び付けてくださいます。豊かな憐れみによって、あなたのすべての子どもたちの祈りを聞き入れ、全世界に真理と平和の聖霊を授けてください。あなたと聖霊とともにただ独(ひと)りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

 

第一日課  使徒言行録17:22-31

第二日課  1ペトロ3:13-22

福音書    ヨハネ 14:1521

15「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。 16わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 17この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。 18わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。 19しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。 20かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。 21わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」

 

讃美歌 教団292(はてしもしらぬ、うきよのうみの)

 

説教  「あなたは忘れられていない」 ヨハネ福音書14:1521

先週の日曜日は「母の日」でした。母の愛を心にとめて、感謝する日でした。今年の母の日は、新型コロナウイルスの影響で、カーネーションを渡したり、送ったりすることもできないような日だったかもしれません。また、天国のお母様へカーネーションを送った方もおられるでしょう。

悲しいことですが、世の中には、その母親の手に触れない子どもがいます。かって、日本中に、捨てられた子どもが多くいましたが、現在では少なくなったとはいえ、全く無くなったのではありません。「こうのとりのゆりかご」(「赤ちゃんポスト」)です。ここから車で10分ほどの、島崎の慈恵病院にあります。そこに預けられた子どもたちが、やがて養子になったり、里親に育てられたりしていますが、それができない子どもたちもいることでしょう。乳児院や施設で育てられる子どもあるとのことです。私たちの身近に知る婦人宣教師モード・パウラスは、たくさんの子どものお母さんとなりましたが、熊本で、このような働きが興(おこ)されるのは、パウラス先生の働きともつながっていることと思います。

 

子どもを捨てたくて、捨てる親など、いないでしょう。いいとか悪いというのではなく、そこには、そうせざるを得ないさまざまな理由があるのでしょう。そうしたことを解決するために、母親が子どもを捨てるといったことが起こらないようにと、さまざまな取り組みがなされてきました。しかし、それを防ぐことができない悲しい現実があります。神さまは、さまざまな理由で、母から捨てられた子ども、また、母の愛を十分に受けられなかった人たちに言われます。

 

「たとえ女(母親)たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」(イザヤ49:15

 

もしかすると、わたしたちの中にも、母の愛を十分に受けられなかったこともあるかもしれません。しかし、幼い頃や若い頃の心の傷がいやされるのは、簡単なことではないでしょうが、神さまの愛によって、それを補ってあまりあるものを受けることができるのです。信じる者は、神さまの愛によってそれを乗り越えることができる力強い言葉が与えられています。「たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう」(詩篇27:10)とあるように、主に信頼する者を決して見捨てないとの確信・勇気を、この聖書の言葉に見出すのです。

 

今生きているわたしたちの時代は、いろいろな情報、価値観、様々な出来事、特に今回の世界的に起こった新型コロナウイルスのように、たくさんのものが錯綜して、目の前を飛び交っています。何が本当のもので、何に頼って歩んでいけばよいのかがわからない時代です。今日の聖句と一連の言葉、「こころを騒がせないがよい―信じなさい」(4:12)というのは、私たちが選び取っていかなければならない態度の勧めです。つまり、私たちの体と心がバラバラに引き裂かれてしまうことのないように、イエスさまを選び取り、信じ、生きていく態度のことではないでしょうか

 

弟子たちは、これからイエスさまが、「私はいなくなる」と告げられました。それは、父である神さまのもとへ帰るからです。これまでのように、イエスさまを身近に見ることや接することができなくなるからです。彼らは、不安を抱いたのです。孤独になるからです。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。」どうしたらよいのかと尋ねたのです。イエスさまは、「別の弁護者、真理の霊があなたがたに用意され、与えられる」と言われたのです。「別の弁護者」とは、パラクレートスと呼びますが、「そばにあって呼んでくれる者」という意味です。自分一人では立ち向かえず、処理できない問題に助力を与えるものとして呼び出される弁護士の役を担うのです。迷い、恐れ、躊躇の中にある人間の勇気を鼓舞し、支援して、新しく歩みをさせる力です。

 

「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は真理の霊である。…わたしはあなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのもとに帰ってくる。」

 

 みなしごにはしない、なんと慰めに満ちた言葉でしょう。私たちには弁護者(そばにあって呼んでくれる者)がいるので、みなしごではありません。

大きな苦しみや悲しみに出会うと私たちは孤独を感じます。みんなが普通に生活しているのに自分だけは特別だとひしひしと孤独を感じます。その時、弁護者が、耐えられない苦しみはなく、神さまが必ず道を拓いてくださると、私たちの内側から励ましてくださいます。新しい働きや生活を始めたり、仕事の上で困難が生じた時にも、弁護者が祈りへと導き平安を与えてくださるのです。

 

 慰めは家族や友人からの横からのものと、神さまからの縦からのものがあります。死(もしかしたら絶望という言葉で置き換えてもいいかもしれませんが)の前では、横からの慰めは限界があります。人は一人で死に立ち向かわなければならないのです。その時も弁護者が「わたしは世の終わりまでいつもあなた方とともにいる」(マタイ28:20)と励ましてくださいます。

もうすぐ、この霊が働く時が始まります。ペンテコステの出来事の日を知るのです。531日がペンテコステの日です。いつもなら、たくさんの人々が集まる日でもありますが、礼拝が行えるかわかりません。たとえ、集まることができなかったとしても、聖霊は、ちゃんと、皆さんのそばにいてくださり、導きを与えていてくださいます。なぜなら、イエスさまは、みなしごにはしないと約束していてくださるからです。

 

 人知では到底はかり知ることのできない神の平安とめぐみが、あなたの内にあって守っていてくださいますように。アーメン。

 

信仰告白(声を出して唱えるのが望ましい)

 われは、天地の造り主、全能の父なる神を信ず。 われはそのひとり子、われらの主イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、おとめマリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に上り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりたまいて、生ける人と死にたる人とをさばきたまわん。われは聖霊を信ず。また聖なるキリスト教会・聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、限りなきいのちを信ず。 

 アーメン。

 

※献金(教会での礼拝が再開する時を覚えてささげてもよい)


 

祈り(※自由に、または、ふさしい祈りを心にとめて祈る)

 

主の祈り(声を出して祈るのが望ましい)

 天にまします我らの父よ。願わくは、み名をあがめさせたまえ。

み国を来たらせたまえ。み心の天に成るごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日ごとの糧を、今日も与えたまえ。我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに会わせず、悪より救い出したまえ。国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。    アーメン。

 

讃美歌 教団344(とらえたまえ、わがみを)

 

終わりの祈り(十字を切ってよい。)

全能の神さま。あなたは悲しむ人の慰め、苦しむ人の力です。今、このような状況において、あなたの子らが悩むとき、私(たち)の祈りを聞いてください。困難の中を歩むすべての人を憐れみ、慰め、喜び生きる力を与えてください。マラナ・タ、主よ、来てください。

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

 

黙祷(しばらく静かな時を持ちましょう)