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2015/04/01
聖木曜日礼拝、聖金曜日礼拝、イースター礼拝のお知らせ
今週、受難週の 聖木曜日、聖金曜日礼拝のお知らせ。
■
4
月
2
日 聖木曜日(洗足日) 礼拝 朝
10
時
■
4
月
3
日 聖金曜日(七言礼拝) 礼拝 朝
10
時
この礼拝に、皆さんをお招きいたします。どうぞ、お越しください。
復活日(イースター)のお知らせ
■
4
月
5
日 復活日
10
時
30
分 聖餐式
、永眠者を憶えて、
祝会(一品持ち寄り)
〃 墓前礼拝(立田)
2
時
30
分
2015/03/24
3月29日 枝の主日
マルコ
11:1-11
1
一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、
2
言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。
3
もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」
4
二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。
5
すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。
6
二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。
7
二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
8
多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。
9
そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、/祝福があるように。
10
我らの父ダビデの来るべき国に、/祝福があるように。いと高きところにホサナ。」
11
こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。
2015/03/19
3月22日 福音書
ヨハネ
12:36b-50
36
光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」
36
イエスはこれらのことを話してから、立ち去って彼らから身を隠された。
37
このように多くのしるしを彼らの目の前で行われたが、彼らはイエスを信じなかった。
38
預言者イザヤの言葉が実現するためであった。彼はこう言っている。「主よ、だれがわたしたちの知らせを信じましたか。主の御腕は、だれに示されましたか。」
39
彼らが信じることができなかった理由を、イザヤはまた次のように言っている。
40
「神は彼らの目を見えなくし、/その心をかたくなにされた。こうして、彼らは目で見ることなく、/心で悟らず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。」
41
イザヤは、イエスの栄光を見たので、このように言い、イエスについて語ったのである。
42
とはいえ、議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった。
43
彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである。
44
イエスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。
45
わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。
46
わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。
47
わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。
48
わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。
49
なぜなら、わたしは自分勝手に語ったのではなく、わたしをお遣わしになった父が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったからである。
50
父の命令は永遠の命であることを、わたしは知っている。だから、わたしが語ることは、父がわたしに命じられたままに語っているのである。」
2015/03/14
3月15日のみ言葉
ヨハネ3:13-21
天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」
2015/02/08
2月15日 変容主日
マルコ福音書9:2~9
六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、
服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。
エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。
ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。
すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」
弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。
一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。
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