2014/12/27

12月28日の礼拝 福音書

 ヨハネによる福音書 2章1ー11節
 三日目に、ガラリヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。 イエスもその弟子たちも婚礼に招か
れた。 ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。 イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」 しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。 そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。 イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。 イエス
は、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。 世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、 言った。「だれでも初めによいぶどう
酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたはよいぶどう酒を今までとって置かれました。」 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

2014/12/21

12月21日の礼拝 福音書

 ルカによる福音書 1章67-79節
 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。
 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。
 主はその民を訪れて解放し、
 我らのために救いの角を、
 僕ダビデの家から起こされた。
 昔から聖なる預言者たちの口を通して
   語られたとおりに。
 それは、われらの敵、
 すべて我らを憎む者の手からの救い。
 主は我らの先祖を憐れみ、
 その聖なる契約を覚えていてくださる。
 これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。
 こうして我らは、
 敵の手から救われ、
 恐れなく主に仕える。
 生涯、主の御前に清く正しく。
 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。
 主に先立って行き、その道を整え、
 主の民に罪の赦しによる救いを
   知らせるからである。
 これは我らの神の憐れみの心による。
 この憐れみによって、
   高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、
 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、
 我らの歩みを平和の道に導く。」
  幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。

2014/12/13

12月14日の礼拝 福音書

 ヨハネによる福音書 1章19-28節
 さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、 彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか]と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。 そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」 ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。
 「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。
 『主の道をまっすぐにせよ』と。」
 遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。 彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、 ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。 その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」 これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、べタニアでの出来事であった。

2014/12/06

クリスマスに寄せて


「どんなきれいな飾りがあったとしても」

「来るべき方はあなたでしょうか」(マタイ11:2

牧師 杉本洋一

 


ほしいものを手に入れようとすれば、インターネットを通してもすぐ注文でき、しかも、翌日配達されます。航空券も新幹線の券もホテルも、申し込んで予約も支払いもできます。必要な依頼をしたいときには、携帯電話で連絡もできます。食べたいものがあれば、注文すると、すぐ運んでくれます。行きたいところがあれば、すぐにも出かけられるでしょう。待つことなしに、実現・実行することができる社会です。今、私たちの世界は、待つ必要がなくなってきた社会といえるかもしれません。

 このような今の時代に、「待つこと」を強いられるのは、時代の流れと逆行しているともいえます。人々は、計画したことを、すぐ行動に移し、願っている欲求を短時間で満足すことができるのです。

でも、本当は、「待つ」ことは、与えられる出来事の喜びを倍増させることも知っているです。人は、「待つ」時間の中で、多くのことを考え、物事の整理をし、たとえ、それが与えられなかったり、実現できなかったりしても、行うべき態度のゆとりと幅が与えられるのを気づくのです。

「待つ」ことは、本来の人間のありのままの生活に備わっていることで、自然なことなのです。逆に、「待たず」に、与えられたり、実現できることは、「不自然」なここと気づかなくなってしまったのが、現代に生きる私たちの不自由さであり、さみしさです。

1225日クリスマスまでのこの時、正確には、24日の日没までが、アドベントです。暦では、神のみ子イエス・キリストの誕生を「待つ季節」です。待っていることを大切にするシーズンです。教会は、この「待つ」大切さを伝えたいと願ってきました。イスラエルの民は、苦しみの生活の中で、救い主の誕生を待ちました。それはもう何千年の昔から待ってきたことでした。長く、長く、彼らは待ちました。涙が枯れてしまうほどに、長い何世代もの受け継がれてきた救世主の誕生を待ってきたのです。

私たちの人生にも、待たなくてはならない時が、あると思います。待つことによって、苦しみが癒えたり、喜びが増し加わったりすることもあるでしょう。クリスマスは、その、「待つ」ことの向こう側に、神さまの約束があり、救いと喜びの約束があるのを知るのです。

救い主を待ち望まないクリスマスは、どんなに美しい飾りがあっても価値がありません。救い主の到来がわたしたちの最大の関心でなければ、クリスマス飾りは何もわたしたちにもたらしてくれません。わたしたちの救い主を待つ姿勢が、クリスマスの意味と価値を人々にクリスマスの喜びをもたらすのです。

クリスマスの静かな喜びが、皆さんの上に豊かにありますように。

2014/12/05

12月7日の礼拝 福音書

 マルコによる福音書 1章1-8節
 神の子イエス・キリストの福音の初め。
 預言者イザヤの書にこう書いてある。
 「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、
 あなたの道を準備させよう。
 荒れ野で叫ぶ者の声がする。
 『主の道を整え、
 その道筋をまっすぐにせよ。』」
そのとおり、 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。 ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。 彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

2014/12/02

クリスマスのご案内
いよいよアドベント、イエスさまのお誕生をお迎えする季節がやってきました。
教会に、どうぞ、お越しください。
心からお待ちしています。


1)     クリスマスの案内

■アドベントⅢ礼拝 (ユーゲントコール讃美)・・・・・・ 12/14()          10:30

■こどものクリスマス礼拝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12/20() 15:30

■アドベントⅣ礼拝 祝会(フリーデコール賛美)・・・・12/21() 10:30

■クリスマスイブ礼拝・・・・・・・・・・12/24()19:00

■クリスマス聖餐礼拝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12/25() 10:00

■新年礼拝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1/ 1() 11:00
 
 
 

2014/11/30

11月30日の礼拝 福音書

 マルコによる福音書 11章1-11節
 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとべたニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。 もし、だれかが、『なぜそんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」 二人は、出かけていくと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。 すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。 二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。 二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。 多くの人が、自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。 そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。
 「ホサナ。
 主の名によって来られる方に、
   祝福があるように。
 我らの父ダビデの来るべき国に、
   祝福があるように。
 いと高きところにホサナ。」
 こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてべたニアへ出て行かれた。

2014/11/22

11月23日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 25章31-46節
 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。 そして、すべての国の民
がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、 羊を右に、山羊を左に置く。 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』 すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。 いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたのことなのである。』
 それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のため
に用意してある永遠の火に入れ。 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いていたときに飲ませず、 旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』 すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』 こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

2014/11/15

11月16日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 25章1-13節
 「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て

行く. そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。 愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用
意をしていなかった。 賢いおとめたちは、それぞれの灯と一緒に、壺に油を入れて持っていた。 ところが、
花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。 真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫
ぶ声がした。 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。 愚かなおとめたちは、賢いお
とめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』 賢いおとめたちは答え
た。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買ってきなさい。』 愚かなおとめ
たちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が
閉められた。 その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。 し
かし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。 だから、目を覚ましていなさ
い。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

2014/11/07

11月9日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 22章34-40節
 ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。 そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

2014/10/31

11月2日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 5章1-12節
 イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。 そこで、イエスは口を開き、教えられた。
 「心の貧しい人々は、幸いである、
   天の国はその人たちのものである。
 悲しむ人々は、幸いである、
   その人たちは慰められる。
 柔和な人々は、幸いである、
   その人たちは地を受け継ぐ。
 義に飢え渇く人々は、幸いである、
   その人たちは満たされる。
 憐れみ深い人々は、幸いである、
   その人たちは憐れみを受ける。
 心の清い人々は、幸いである、
   その人たちは神を見る。   
 平和を実現する人々は、幸いである、
   その人たちは神の子と呼ばれる。
 義のために迫害される人々は、幸いである、
   天の国はその人たちのものである。
 わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。 喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

2014/10/25

10月26日の礼拝 福音書

 ヨハネによる福音書 8章31-36節
 イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」 すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯すものはだれでも罪の奴隷である。 奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。 だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。

2014/10/18

10月19日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 21章33-44節
 「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。 さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところに送った。 だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。 また、他の僕たちを前より多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。 そこで最後に、『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。 農夫たちはその息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して彼の相続財産を我々のものにしよう。』 そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。 さて、ぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか。」 彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」 イエスは言われた。『聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。
 『家を建てる者の捨てた石、
 これが隅の親石となった、
 これは、主がなさったことで、
 わたしたちの目には不思議に見える。』
 だから、言っておくが、神の国はあなたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。 この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」

2014/10/11

10月12日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 20章1-16節
 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけていった。 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。 それで、受け取ると、主人に不平を言った。 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。丸一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

2014/10/04

10月5日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 第18章21-35節
 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。 そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。 決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。 しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。 家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします。』としきりに願った。 その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。 ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。 仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。 しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。 仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。 そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。 わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』 そして、主君は怒って、借金をすっかり返すまでと、家来を牢役人に引き渡した。 あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」

2014/09/27

9月28日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 第18章15-20節
 「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。 聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。 それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
 はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。 また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

2014/09/20

9月21日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 第18章1-14節
 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国で一番偉いのでしょうか」と言った。 そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、 言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。 自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。 わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れるものは、わたしを受け入れるのである。」


 「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせるものは、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。 世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。 もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。 もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても命にあずかる方がよい。」

 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。 あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。 はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。 そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」

2014/09/13

9月14日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 第16章13-20節
 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。』 イエスが言われた。『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。』 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」 それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。

2014/09/05

9月7日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 第15章21-28節
 イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。 すると、この地に生まれたカナンの女が出てきて、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています。」と叫んだ。 しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちは近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」 イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。 しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。 イエスが「子供たちのパンを取って子犬にやってはいけない」とお答えになると、 女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくものです。」 そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。

2014/08/30

8月31日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 第14章22-33節
 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。 群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。 ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。 夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。 弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。 イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」 すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」 イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。 しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。 イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄いものよ、なぜ疑ったのか」と言われた。 そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。 舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

土曜礼拝 再開です。

夏の間、休会でした土曜礼拝が再開します。
夕べ7時半からです。 どなたも、お越しください

2014/08/23

8月24日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 第14章13-21節
 イエスはこれを聞くと、船に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。 イエスは船から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。 夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」 イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」 イエスは「それをここに持って来なさい」と言い、 群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。 食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

2014/08/15

8月17日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 第13章44-52節
 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
 また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。 高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。
 また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。 網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。 世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、 燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」

「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました。」と言った。 そこでイエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家に主人に似ている。」 

2014/08/08

8月10日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 第13章24-35節
 イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。 人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。 芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。 僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』 主人は『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『行って抜き集めておきましょうか』と言うと、 主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。 刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦のほうは集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」

 イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。『天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、 どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
 また、別のたとえをお話になった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」

 イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。 それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
 「わたしは口を開いてたとえを用い、
 天地創造の時から隠されていたことを告げる。」

2014/08/04

集会休会のお知らせ

夏休みに入ります。

聖研・夕礼拝・英語礼拝/夏の休会のお知らせ 

 水曜聖研   723日~827日 

      土曜日礼拝  82日~823日 (※830日は行ないます)

      英語礼拝・バイブルクラス  720日~8月中

2014/08/02

8月3日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 第13章1-9節
 その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。 すると、大勢の群衆がそばに集まってきたので、イエスは船に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。 イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。 ほかの種は、石だらけで土の少ないところに落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。 ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 耳のある者は聞きなさい。」 

2014/07/26

7月27日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 第11章25-30節
 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。 そうです、父よ、これは御心に適うことでした。 すべてのことは、父からわたしに任されています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

2014/07/18

7月20日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 第10章34-42節
 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。 わたしは敵対させるために来たからである。
 人をその父に、
 娘を母に、
 嫁をしゅうとめに。
 こうして、自分の家族の者が敵となる。
 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。 また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。 自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」


 「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。 預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。 はっきり言っておく、わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

2014/07/12

7月13日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 第10章16-33節
 「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。 人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。 また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証をすることになる。 引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。 実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。 兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶものは救われる。 一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。
 弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。 弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族のものはもっとひどく言われることだろう。」


 「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。 わたしが暗闇であなたがに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。 体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。 二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。 あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。 だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」

 「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間である
と言い表す。 しかし、人々の前でわたしを知らないという者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」

2014/07/05

7月6日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 第9章35節-第10章15節
 イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。 また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。 そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
 イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。 十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、 フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、 熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。
 イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。 行って、『天の国は近
づいた』と宣べつたえなさい。 病人をいやし、死者を生き返らせ、らい病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。 帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。 旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働くものが食べ物を受けるのは当然である。 町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。 その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。 家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。 あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳も傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。 はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地のほうが軽い罰で済む。」

2014/07/03


「言葉に聞き従う歩み」 
 
 
       
      熊本ルーテル教会 牧師 杉本洋一

「その時代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ」(創世記6:9

 

例年経験する梅雨の天候は、年により、所によって、想像を超える大きな変化を見せます。この前、東京三鷹では、では、雹(ひよう)が、一メートルを超えるほど降ったというニュースを聞きました。しかも、それが一部に集められて、ひどい床上浸水があったとのことです。3年前に起こった阿蘇での豪雨・白川の堤防決壊も思い起こします。最近では、竜巻も、集中豪雨によって災害が起こることさえも、決してよその世界の事でなく、しかも、他人事として聞くことはできません。

主の言葉に聞き従ったノアは、来る日も来る日も、箱舟をつくる仕事に追われました。箱舟の大きさも、半端なものではありません。長さは、三百アンマです(創世記6:15135メートル)。どのように作ったかを頭の世界で想像をすることは、今の技術があるわけではありませんから、当時のことを考えれば、簡単に作れたものではなかったはずです。協力者という手伝いが、どれほどいたことでしょうか。しかも、手の数が多少確保されも、継続して手伝ってくれる人の確保が、どれほど難しかったのではないでしょうか。食べる糧も確保しながらの箱舟つくりは、やはり私たちの想像を越えます。「なんで、こんないい日に船なんか作っているのか」「頭がおかしいんじゃないのか」「なせ、こんな場所に船が必要なんだ」との周りの声はたくさん聞こえてきます。

私たちも、日々の仕事や生活を送る中で、それ以外のことに精を出せば、周囲の声・ささやき・うわさを耳にするのは簡単なことです。仕事と趣味が区別つかなくなったという声も聞きます。はじめからできないことをやっているとか、空しい徒労と人間性への疑い、様々な目が注がれることに違いありません。

していることの目的、目標が見えません。なすことの主体は神さまであり、ノアは聞き従うのみです。神さまの言葉に聞き従う人の姿は、人々の目からは、奇異な、異常とさえ見える姿に映ったに違いありません。

晴れの日が続きます。そのような時に、ぽつんぽつんと、額や体に雨を感じはじめ、やがて、その雨は、水かさを増し、川から水があふれ、平野に水が覆い、山々が水で埋めされ尽くされていったのです。雨が降り続く日々だったのです。その時に、ノアの耳にした神さまの言葉がなんだったのか一人一人に思い出されるのです。

 
「わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わないものは、皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった」(マタイ7:2627

 
しっかりとした土台の上に、自分の家を建てる教訓は、よく聞くところです。しかし、上の聖書の言葉は、人生の土台ということより、主の言葉に耳を傾けるかどうか、聞き従うかどうか、本当に心から聞こうとするのかです。

どのような時にも、私たちは、変わることのない神さまの言葉に、耳を傾け、従っていきたいと願っています。

2014/06/28

6月29日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 第9章9-13節
 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。 イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やってきて、イエスや弟子たちと同席していた。 ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。 『わたしが求めるのは憐れみであって,いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くのではなく、罪人を招くためである。」

2014/06/20

6月22日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 第7章15-29節
 「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。 あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。 すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。 良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。 このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」
 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言うものが皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。 かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。 そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」
 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものは皆、岩の上に自分の家を立てた賢い人に似ている。 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。 わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」
 イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。 彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

2014/06/14

6月15日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 第28章16-20節
 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。 そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。 イエスは近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

2014/06/07

6月8日の礼拝 福音書

 ヨハネによる福音書 第7章37-39節
 祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」 イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている〝霊〟について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、〝霊〟がまだ降っていなかったからである。

2014/05/30

6月1日の礼拝 福音書

 ヨハネによる福音書 第17章1-11節
 イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。 あなたは子にすべての人を支配する権能をお与えになりました。そのために、子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができるのです。永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。わたしは、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地上のあなたの栄光を現しました。 父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を。 世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに与えてくださいました。彼らは御言葉を守りました。 わたしに与えてくださったものはみな、あなたからのものであることを、今、彼らは知っています。 なぜなら、わたしはあなたから受けた言葉を彼らに伝え、彼らはそれを受け入れて、わたしがみもとから出てきたことを本当に知り、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じたからです。 彼らのためにお願いします。世のためではなく、わたしに与えてくださった人々のためにお願いします。彼らはあなたのものだからです。わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。わたしは彼らによって栄光を受けました。 わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。

2014/05/23

5月25日の礼拝 福音書

 
 ヨハネによる福音書 第14章15-21節
 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなた方はこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにしておかない。あなたがたのところに戻って来る。  しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなた方も生きることになる。 かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」

2014/05/18

バザーはよかったです。

晴天に恵まれたのは、やっぱり、みんなの努力と、恵みです。ありがとうございます。神さま、よんながちからをあわせましたよ、感謝!

2014/05/16

5月18日の礼拝 福音書

 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。 わたしがどこへ行くのか、その道をあなた方は知っている。」 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます。」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。 はっきり言っておく。わたしを信じるものは、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとに行くからである。 わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。 わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」

2014/05/10

明日は母の日ですが、その準備!


明日の母の日のために、壮年会が、炊き込みご飯の準備をしています。男性が8名集まっています。指導者は女性会からですが。


2014/05/09

5月11日の礼拝 福音書

 「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。 門から入るものが羊飼いである、 門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。 しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」 イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。
 イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。 わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし羊は彼らの言うことを聞かなかった。 わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。 盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。―― 彼は雇い人であり、羊のことを心にかけていないからである。 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。 それは父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊も私の声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。

2014/05/02

5月4日の礼拝 福音書

 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れて見なければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵をかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

2014/04/25

4月27日の礼拝 福音書

  ヨハネによる福音書 第20章1923節
 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。 イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

2014/04/18

4月20日の礼拝 福音書

 ヨハネによる福音書 第20章1-18節
 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。 そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」 そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。  身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。 続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。 イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。 それから、先に墓についたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。 イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。 それから、この弟子たちは家に帰って行った。
 マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、 イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。 天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」 こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。 イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」 イエスが「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。 イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとに上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなた方の父である方、また、わたしの神であり、あなた方の神である方のところへわたしは上る』と。」 マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、『わたしは主を見ました』と告げ、また、主から言われたことを伝えた。

 

イースター礼拝

4/20(日) 10:30から、行います。
聖餐式、洗礼式、転入式を行います。
子どもたちの讃美があります。
礼拝後、祝会です。
午後2時半から、墓前礼拝です。

2014/04/09

4月13日の礼拝 福音書

マタイによる福音書21章1節~11節
  一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。 もし、だれかが何か言ったら、『主がお入用なのです。』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」 それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
  「シオンの娘に告げよ。
  『見よ。お前の王がお前のところにおいでになる、
  柔和な方で、ろばに乗り、
  荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
 弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、 ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、
イエスはそれにお乗りになった。 大勢の群衆が、自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。 そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。
  「ダビデの子にホサナ。
  主の名によって来られる方に、祝福があるように。
  いと高きところにホサナ。」
 イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ。」と言って騒いだ。 そ
こで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ。」と言った。

2014/04/05

墓地のフェンスペンキ塗り

ペンキ塗りのために、古くなったペンキは、ひたすら、たたいて落とす...これを、体得した我らは、今朝も、カナヅチで、ペンキを落としたのでした。 一人抜けてしまいました...


2014/04/01

新しい旅立ち

 富島先生の送別会が、3/30に行われました。
 これまで一緒に教会生活を送ることが許されて感謝でした。
 静岡教会での、お働きをお祈りしています。

2014/03/18

教会バザー

今年のバザーは、5月18日(日)です。

礼拝は、10時半。なお、この日の説教者は、ペッカ・フフティネン牧師(フィンランド福音ルーテル協会)です。

2014/03/07

青年会は、いつも元気です。

青年会が、行われました。
モーガンさんによるアイデアで、テーマは、アメリカンテイスト。パンケーキ!これは、受難節に入る聖水曜日の前の火曜日の夜に、パンケーキを食べる習慣があるそうです。(もう、受難節ですが、それは、それとして)

2014/02/15

子どもの教会

今日は、子ども礼拝が、行われました。
みんなで礼拝をし、分級をしました。

2014/01/23

礼拝堂・集会室のレンタル利用について


■礼拝堂をコンサート等の会場としてご利用いただけます。

■集会室を練習会場としてご利用いただけます。




内容

備考


費用


お問い合わせください。 096(352)1778


客席数


礼拝堂は100名程度です。


用途


クラシック、ジャズ等のコンサート、練習などにご利用ください。
内容によっては、ご利用をお断りする場合もあります。


飲食可否


礼拝堂での飲食は禁止です。ただし、集会室では可能です。


喫煙可否


教会内は禁煙です。

2014/01/11

青年会新年会




青年会がありました。
 交わりを感謝し、祈りの一時を持ちました。
チヂミ、富士宮焼きそば、トッポギ、をいただきました。新しくJ3として赴任するブレントさんも顔を見せてくれました。
次回のテーマの食事は、"アメリカの卵"です。
 最後は、ビンゴでした。 ビンゴーッ!!!


2014/01/09

土曜礼拝のお知らせ

熊本教会では、土曜礼拝を行っています。
夕7時半からです。

お気軽にお越しください。

落ち着いた雰囲気です。

しずかな夕べのひと時を分かち合いましょう!