2015/10/27

10月18日熊本地区歓迎会 フィンランドの夕べ

マルッティ・ポウッカ牧師ご夫妻、ビルピ・ソベリ牧師の三人が、熊本地区を訪れ、教会施設をお訪ねくださいました。これは、その日曜日の夕べ「フィンランドの夕べ」の地区歓迎会の後の記念写真です。
無事、3人の宣教師の先生は、27日(火)朝に、成田から、フィンランドに帰国されました。



2015/10/24

10月25日 宗教改革主日に寄せて


神さまの大きな愛を知った人

日本福音ルーテル熊本教会

牧師 杉本洋一

「人が義とされるのは行いによってではない」(ローマ書3:28

 

あなたは、神さまを、どのような神さまとして描いておられるでしょうか。どのように神さまのことをイメージしているでしょうか。例えば、お父さんとしての神さまとお母さんとしての神さまは、捉え方が異なるでしょう。父権性が強いなら、男性的なイメージの「力」や「威厳」が表に出るでしょう。母なる神なら、「やさしさ」や「抱いてまもる」ことの印象が色濃く出るかもしれません。

さて、私たちのルーテル教会は、マルチン・ルターの流れを引き継ぐ教会です。このルターは、父・ハンスの強い願いのもとに、幼少の頃からラテン語を学び、寮に入らされ、算術、論理学などの学びをたくさんしました。エルフルト大学に法律の勉強のために、入学をしました。親は、官吏とか宰相にならせたいとの願いがあったからです。大学の休暇による帰省を終え、学校に戻る途中の道で、落雷に遭遇します。稲妻によって恐怖の体験をし、思わず、その時に口から出た言葉は、「修道士になります」というものでした。稲妻の体験も、想像してみただけでも恐ろしいものです。「修道士になる」というのも、深層心理からすれば、心の底にあったものが、恐ろしさの体験から、表に出て来たのでしょう。法律を用いた社会に接する職業より、目に見えない神さまと接する仕事の選択を思わず表明したのです。

厳しい日課に基づく彼の修道生活が始まり、聖書を読み、祈りや黙想の時を持ちました。しかし、あの時の、「修道士になります」との表明した時に感じていた神さまと、修道生活を送って、もっと深く、身近に感ずる神さまは、相変わらず厳しい方であり、裁きを感ずる神さまでした。決して愛の方とは程遠く、「ぬくもり」も「あたたかさも」感ずることなく、依然として、深い神さまの愛を知ることはありませんでした。修道生活をすればするほど、神さまは愛の方ではなく、厳しく、裁きの神でした。

修道生活というと人から見れば聖なる立派な生活でしょう。しかし、その「行い」によって、人は、清く聖なるものとされるのでないことを感ずるのです。そればかりか、修道生活において見えてくるのは、清さを勝ち取ろうとする自分の欲や醜さが頭をもたげ、ますます、神さまから離れていく自分を見つけるのでした。

結局、ルターは、それは自分で勝ち取ろうとしているものであり、「人が義(神さまの前に正しい)とされるのは、(律法の)行いによるのではない」(3:28)と気づくのです。しかし、それは、前からずっと聖書に書かれていたことだったのです。「行う」ことによってではなくて、「イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義」(3:22)が私たちに示されているのであり、「神の恵みにより無償で義とされる」(3:24)と確認したのです。神さまの大きな愛を知ったルターは、変わったのです。

2015/10/15

10月18日の福音書 マルコ10:17-31

17イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」18イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。19『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」20すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。21イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」22その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
23イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」24弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。25金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」26弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。27イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」28ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。29イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、30今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。31しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」

2015/10/14

10月12日 教区女性会修養会が行われました。

 ジェンダーの視点から聖書を読む
 テーマ「土のかたまり」 講師:北村恵子さん(NCC女性会委員長 矯風会/性・人権部門員 )がお話しくださいました。
その時の様子です。礼拝は礼拝堂にて。 修養会は、集会室にて行われました。