2014/12/06

クリスマスに寄せて


「どんなきれいな飾りがあったとしても」

「来るべき方はあなたでしょうか」(マタイ11:2

牧師 杉本洋一

 


ほしいものを手に入れようとすれば、インターネットを通してもすぐ注文でき、しかも、翌日配達されます。航空券も新幹線の券もホテルも、申し込んで予約も支払いもできます。必要な依頼をしたいときには、携帯電話で連絡もできます。食べたいものがあれば、注文すると、すぐ運んでくれます。行きたいところがあれば、すぐにも出かけられるでしょう。待つことなしに、実現・実行することができる社会です。今、私たちの世界は、待つ必要がなくなってきた社会といえるかもしれません。

 このような今の時代に、「待つこと」を強いられるのは、時代の流れと逆行しているともいえます。人々は、計画したことを、すぐ行動に移し、願っている欲求を短時間で満足すことができるのです。

でも、本当は、「待つ」ことは、与えられる出来事の喜びを倍増させることも知っているです。人は、「待つ」時間の中で、多くのことを考え、物事の整理をし、たとえ、それが与えられなかったり、実現できなかったりしても、行うべき態度のゆとりと幅が与えられるのを気づくのです。

「待つ」ことは、本来の人間のありのままの生活に備わっていることで、自然なことなのです。逆に、「待たず」に、与えられたり、実現できることは、「不自然」なここと気づかなくなってしまったのが、現代に生きる私たちの不自由さであり、さみしさです。

1225日クリスマスまでのこの時、正確には、24日の日没までが、アドベントです。暦では、神のみ子イエス・キリストの誕生を「待つ季節」です。待っていることを大切にするシーズンです。教会は、この「待つ」大切さを伝えたいと願ってきました。イスラエルの民は、苦しみの生活の中で、救い主の誕生を待ちました。それはもう何千年の昔から待ってきたことでした。長く、長く、彼らは待ちました。涙が枯れてしまうほどに、長い何世代もの受け継がれてきた救世主の誕生を待ってきたのです。

私たちの人生にも、待たなくてはならない時が、あると思います。待つことによって、苦しみが癒えたり、喜びが増し加わったりすることもあるでしょう。クリスマスは、その、「待つ」ことの向こう側に、神さまの約束があり、救いと喜びの約束があるのを知るのです。

救い主を待ち望まないクリスマスは、どんなに美しい飾りがあっても価値がありません。救い主の到来がわたしたちの最大の関心でなければ、クリスマス飾りは何もわたしたちにもたらしてくれません。わたしたちの救い主を待つ姿勢が、クリスマスの意味と価値を人々にクリスマスの喜びをもたらすのです。

クリスマスの静かな喜びが、皆さんの上に豊かにありますように。

2014/12/05

12月7日の礼拝 福音書

 マルコによる福音書 1章1-8節
 神の子イエス・キリストの福音の初め。
 預言者イザヤの書にこう書いてある。
 「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、
 あなたの道を準備させよう。
 荒れ野で叫ぶ者の声がする。
 『主の道を整え、
 その道筋をまっすぐにせよ。』」
そのとおり、 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。 ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。 彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

2014/12/02

クリスマスのご案内
いよいよアドベント、イエスさまのお誕生をお迎えする季節がやってきました。
教会に、どうぞ、お越しください。
心からお待ちしています。


1)     クリスマスの案内

■アドベントⅢ礼拝 (ユーゲントコール讃美)・・・・・・ 12/14()          10:30

■こどものクリスマス礼拝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12/20() 15:30

■アドベントⅣ礼拝 祝会(フリーデコール賛美)・・・・12/21() 10:30

■クリスマスイブ礼拝・・・・・・・・・・12/24()19:00

■クリスマス聖餐礼拝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12/25() 10:00

■新年礼拝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1/ 1() 11:00
 
 
 

2014/11/30

11月30日の礼拝 福音書

 マルコによる福音書 11章1-11節
 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとべたニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。 もし、だれかが、『なぜそんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」 二人は、出かけていくと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。 すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。 二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。 二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。 多くの人が、自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。 そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。
 「ホサナ。
 主の名によって来られる方に、
   祝福があるように。
 我らの父ダビデの来るべき国に、
   祝福があるように。
 いと高きところにホサナ。」
 こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてべたニアへ出て行かれた。

2014/11/22

11月23日の礼拝 福音書

 マタイによる福音書 25章31-46節
 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。 そして、すべての国の民
がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、 羊を右に、山羊を左に置く。 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』 すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。 いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたのことなのである。』
 それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のため
に用意してある永遠の火に入れ。 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いていたときに飲ませず、 旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』 すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』 こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」