2013/08/17

8月18日 説教理解のために


高視聴率を記録したテレビ番組「半沢直樹」、銀行員の彼が、銀行という職場で、統制のとれ、しかも、きちんと管理されたと見える社会の中で、不正を暴きます。モノ申すことは到底無理で、尻込みするしかありません。それは自分の持っている家庭や今の生活維持や将来に向かう昇進を自分の前にいったん置いて、事にあたらなければならないからです。はっきり、あれかこれかを言う姿は、イエスさまの姿に似ています。....



イエスの容赦のない激しさは、イエスさまの思考のひとつの特徴をなしています。論理を

極限まで突き詰めてゆく厳しさを感じ、一切の曖昧さを許さないことが伝わります。


イエスが語られたこの状況を、思い起こしてみましょう。このイエスが語られた人々は、つまり、ここでの聞き手は、病気や生活苦を抱える貧しい民衆でした。当時のユダヤ社会において、社会の底辺にも属さない人々でした。当時のユダヤ社会では、たった6%の人々が支配階層と、中産階級(自分の財産所有)で社会の中心を占め、残りの94%の人々が、その周辺に追いやられていました。ファリサイ派の人々や律法学者の人々は、この6%の社会の上層階級に属していました。しかし、イエスは、このユダヤの社会枠の外に追いやられた人々、罪人と見なされ人々に語られているのです。

つまり、彼らはその日食べることで精一杯で、無論文字も読めず律法自体も知らない人々でしたから、ファリサイ派の人々や律法学者から「穢れた者」として罪人と見なされ、ユダヤ社会からのけ者とされ差別されていた人に語られたのです。自らの意思で罪を犯している人々というのではなく、社会構造上まさに、神との関係を失っている人々でした。そこで、イエスは、『平和を実現する人は幸いである。』(マタイ5章9節)と語られたのです。イエスは、「痛みを知る貧しく小さくされたあなた方だからこそ、自分たちの感性で行動を起こすとき、それを平和のために働いているのだ。間違いなく神が一緒に働いてくださる。」といわれているのです。貧しく小さくされたあなた方が待ち望む世界こそ、本当に平和な世界であり、神が望む平和なのだ。だから、それを実現するために行動を起こしなさい、という意味なのです。


人が自分の魂に忠実に生きようとするとき、自分を支配しようとするものと闘わなければならない場面が生ずるのです。それは時として、反抗の形をとったり、分裂をもたらしたりするかもしれません。けれど本当の関係を建て直すためにそれは避けられないことでもあるのです。それは憎しみや妬みから生じるものではなく、おのおのが自分自身に立ち返るときに生じる分裂だと、産みの苦しみです。眠っている魂にたいして、目覚めよとイエスは言い、火を投じるのです。

 私たち人間は、往々にして、回りとのバランスを取ろうとする傾向があるでしょう。誰も嫌な思いをしないように、事をまるく治めようとしてしまうでしょう。そして無意識のうちに秩序やルールに縛られ、人にもそれを要求してしまうのです。しかし、それこそが私の弱さであることを、イエスは知っており、自ら十字架にかかられ、私たちに代わり、神の裁きの前にとりなしをなされたのです。

いつもそのジレンマに立たされる私は、きっぱりと言ってのけるこのイエスの姿に惹かれまた信頼するのです。