学生は、勉強や学校生活、部活や、友人関係や将来の進路について考えています。
子どもも、お父さんも、お母さんも、みんな考えています
■苦しみがあれば、それを乗り越えてくための力を得ようとします。
■悲しみに出会えば、うちかって前に進むエネルギーを望みます。
■希望を失いそうになれば、へこたれずに、奮い立つ勇気を持ちたいと思うのです。
聖書の言葉を聞いて、生活の指針にしようと思うことは、決して間違いなことではないでしょう。
さて、教会に集った私たちに、今日耳にしたイエスさまの言葉は、強烈な衝撃を与えます。
何故なら、キリストを信じて歩み、教会生活や奉仕も力を入れて歩んできたからです。
全く知らなかった人々がもろ手を広げて天の国に歓迎されているのに、イエスを信じた人々は外に投げ出されると宣言されているからです。
私たちは救いに導かれる正しい道を歩んでいますが、イエスさまはこれについてもう一度真面目に考え直すように願っています。
最も大切なことは、イエスさまが要求する赦しや兄弟的な愛や互いの尊敬や一致に生きること、そしてそれらを、私たちが神への愛と隣人への愛を親密に結んでいるイエスさまの教えを伝えて、生きることです。
イエスさまの言葉に「先なる者は後に、あとなる者は先に」というものがあります。
自分はほかの人よりも深く神を信じていると考えている人が後に回されることもあるかもしれない。自分の方が優れていると思っている人が選ばれないかもしれない。逆に自分は神に選ばれる資格はないと感じている人が、神からの仕事を託されるかもしれないのです。
そこでイエスが実現したように、私たちが出会うすべての困難、思いがけない出来事、あらゆる種類の苦しみを「愛の行い」へと変化させるように神が私たちを招いています。
ここに表されているのは、神はわたしたちと同じようには考えないということでしょう。わたしたちが「ふつうはこうするでしょう」とか「こうなるのが普通でしょう」いうことを神はしないということであり、わたしたちが「こんなことが起こるはずがない」ということを神はなさるということです。
神はわたしたちが思いもよらなかった時と場所に救い主を登場させるということです。
神はわたしたちの期待通りに動くような存在ではなく、逆に、わたしたちが神の期待通りに動くことを期待されているのです。
あべこべの世界、それが神とわたしたちとの関係の中で明らかになっていくものであると思います。